ほんとうの自由とはなにか?嫌われる勇気です。アドラー心理学に学ぶ 6

スポンサーリンク

アドラー心理学について学ぶシリーズ第6弾です。

「すべての悩みは対人関係の悩みである」

アドラー心理学の最も有名なフレーズでしょう。

今再び話題になっている「嫌われる勇気」での考え方に触れていきます。

前回の記事では、課題の分離について書いてみました。

悩むことがあったときには、

「これは誰の課題なのか?」

を考えて、もし他者の課題なら切り捨てるというモノでした。

今回は、ほんとうの自由とはなにかについて考えていきます。

本書のタイトルにもなっている

「嫌われる勇気」

が出てきます。

タイトルになるくらいなので、ここが本書の一番の核心部分なのでしょうね。

では書いていきます。

スポンサーリンク

ほんとうの自由とはなにか?嫌われる勇気です。

結論

まず結論は、タイトルにもありますが、

「自由とは他者から嫌われることを怖れないこと」

です。

理由

理由は、

全員に嫌われないように生きることは不自由極まりないから

です。

ここだけ見るとかなり過激な話に見えますよね。

実際はかなりハードルが高いですが、ここで「勇気」が必要になるんですね。

まずは自由とはというところから考えていきます。

自由とは?

自由について考えたことはありますか?

調べると、

自由(じゆう)とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。

Wikipedia

ということです。

アドラー心理学では悩みの原因は対人関係が全てと考えています。

ですのでここにおける自由とは、物理的な拘束などではなく、対人関係におけるしがらみなどからの解放を意味します。

承認欲求は不自由を強いる

他者から承認を求めることは、他者の期待を満たすように生きるということになります。

これが自分のやりたいことと一致していればもちろん問題はないです。

ですが、他者に嫌われたくないと思うための行動ならば、そこには見返りが必要になります。

対人関係のベースに「見返り」があると、自分はこれだけ与えたのだから、これだけ返してくれという発想になります。

そうすると、見返りに縛られることになり、どんどん不自由な状態へとなっていきます。

自己中心的な発想とは?

ならば自己中心的に生きろということ?と考えますよね。

もちろん悪行を働いたり、わざわざ人を不快にさせるように生きるというわけではありません。

アドラー心理学における自己中心的な発想とは、他者の課題に土足で踏み込むことです。

他者に自分の求めることを強要したりすることなどですね。

また、逆に自分の課題に踏み込まれたときには踏み込んだ相手を自己中心的な立場と捉えます。

そこでたとえ嫌われたとしてもそれは他者の課題であると切り捨てるということです。

嫌われたくないという欲求

他者から嫌われたくないと思うことは、人間にとってきわめて自然な欲求であり衝動です。

わざわざ人に嫌われたいと思う人はいませんが、嫌われたくないという欲望のおもむくままに生きる生き方は欲望や衝動の奴隷となることと考えます。

嫌われたくないという欲望の奴隷になってしまえば、常に他者の顔色を窺う必要があります。

そして、嫌われないためにはどうすればいいかを常に考え、自分に嘘をつき、嫌われないために他者にも嘘をつき、その結果、信用を失い、人生が苦しいモノとなってしまう可能性を秘めています。

自由になるとは?

ではどうすればいいかというと、

他者の評価を気にせず、

他者から嫌われることを怖れず、

承認されないかもしれないというコストを支払うこと

をすれば、自分の生き方を貫くことができ、自由を得られるということです。

ほんとうの自由とはなにか?嫌われる勇気です。まとめ

もちろん積極的に人から嫌われろというわけではありません。

人に嫌われないようにしようと考えるのはわたしの課題ですが、最終的に嫌いになるかどうかは他者の課題だから切り捨てるということです。

他者にどう思われるかよりも先に、自分がどうしたいかを貫くことが自由に生きるということだということですね。

そして努力の結果たとえ他者に好ましく思われなくても、しょうがないと思えることが大切だということです。

最後までお読みいただきありがとうございます。


コメント

タイトルとURLをコピーしました